七宝焼とは

愛知県には尾張七宝(おわりしっぽう)という伝統的工芸品があります。

この記事では七宝焼きについて、尾張七宝について書いています。


そもそも七宝焼(しっぽうやき)とは?

日本の工芸品の一つで

「七宝焼は、金属板の上にガラス質の釉薬を溶着したもの」

釉薬(ゆうやく)…ガラス質の粉。うわぐすり。

つまり金属板の上にガラスを焼き付けたものです。

そのため同じ焼物でも土からできている陶磁器とは違うんですよ。

 

七宝焼の「七宝」って?

仏教経典にある7つの宝物のこと

金、銀、瑠璃(るり)、しゃこ、瑪瑙(めのう)、真珠、玖瑰(まいえ)

この「7つの宝物をちりばめたように美しいもの」という意味です。

いつからあるの?

歴史は古く、古代エジプト・メソポタミア文明にさかのぼり、ツタンカーメンの黄金のマスクにも七宝の釉薬が使われていたとか!

その後、シルクロードを経て中国に渡り、日本に伝わったのは西暦750年頃と言われています。

日本での七宝焼きの歴史

昔は奈良時代〜安土桃山時代に副葬品や襖の引手部分に使われていました。

名古屋城本丸御殿で復元された引手、菜食は七宝焼

↑名古屋城本丸御殿の復元された引手(安藤七宝店本店に展示されていました)

 

江戸時代後期、オランダから輸入された七宝皿を研究した尾張(現在のあま市のあたり)の梶常吉(かじつねきち)によって現代の七宝焼が確立されました。

そのため、この時代には尾張地方に多くの七宝焼の窯元が存在し、技術が磨かれました。

そして生まれたのが「尾張七宝」

<尾張七宝の特徴>

銀線を用いて柄を描く技術を用いた

【有線七宝】と、

表面に一切の凸凹なくツルツルに仕上げる

【本研磨】を施した七宝焼

尾張七宝は日本七宝の本流と言われています。

 

明治時代には万博博覧会などを通じて欧米にも盛んに輸出しました。

赤透(あかすけ)と呼ばれる釉薬は、欧米で「まさにルビーである」と高評価されたそうです。

 

しかし戦争によって輸出はなくなり、金属は没収され次々に作ることができなくなりました。

さらに、最近は合成樹脂製品が取って変わり、大幅に需要を失ってしまいました。

 

今後の七宝焼

七宝焼のお店に行くと、壺や額縁などの贈呈品をはじめ、お皿やアクセサリーなど普段の生活に取り入れやすい品物も充実しています。

お店の方に聞くと、「七宝焼」のニーズが法人ギフトがメインだったのを、個人のニーズにも対応してきたところ。

しかし、まだまだ七宝焼きの認知度は低いため、まずは多くの人に知ってもらうのが課題だそうです。

七宝焼きは大切な方への贈り物に、自分へのご褒美にぴったりの工芸品です。

認知向上のため、私も頑張りたいと思いました。

 

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